世界の名作童話といっていいのか分からないが、大人になって読み返して、新たな発見があった作品も意外と多い。
例えば、「星の王子さま」。
名作すぎる名作で、最近も新約版が出版されたり、これに言及する「恋愛論」「人間関係論」の書物が後を絶たない。それぐらい奥が深く、子どもだけでなく、大人の心を癒すものが「星の王子さま」には込められているのだろうか?
私がこの本を読んだのは小学校6年のとき。だが、正直って当時は興味がまるで湧かなかった。
・・・・大切に育てたバラの花と喧嘩して、自分の小さな星を飛び出し、いろいろな変わった人が住む星を旅してまわり、地球へたどり着いた王子さま。皮肉っぽい物言いをするキツネとであったり、ヘビとであったり、最後は「ぼく」(これは筆者?)と出会い、いろいろなことを学んで大人になった王子さまは星に帰っていく・・・・。
「大切なものは 目に見えない」
と王子さまは、キツネから教えてもらうのだが、この意味は当時の私にはまるで理解できなかった。子どもが読む本として「大切なもの」が何であるか、ある程度具体的に描いておいてくれないと分からないじゃないの!と、少しばかりイライラもした。
結局、夏休みの課題の感想文を書こうと思って読んだのに、なんと感想文を書いていいのかインスピレーションが湧かず、私は結局、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んだ。当時の私は、具体的にどんなことをしたら悪いのか、どんなことをしたらいいのか興味があった。
「星の王子さま」のように、作者の言いたいことをオブラートに包んだような情緒的な作品よりも、「蜘蛛の糸」のようなダイレクトに訴えかけてくる作品のほうがあの頃の私は求めていたのは事実。同じ読んだ後に余韻が残る、考えさせるという意味では大差はない気がするが、それが年齢を重ねると感じ方が変わってくるものだと実感したのは、去年だったか、「星の王子さま」を読み直したとき。
王子さまが大切にしていたバラの花と喧嘩して、王子さまは星を飛び出した。地球について、バラの花が沢山あることを知る。なーんだ、ぼくは、ぼくの大切にしていたバラの花が世界にひとつの花だと思っていたが違うじゃん。どこにでもある普通のバラの花だったんだ、と思ったかどうかは分からないが、ある時キツネに言われてハッとする。
キツネは王子さまと友だちになりたかった。王子さまが好きだった。キツネにとっては、ムギ畑の色なんて今まではただの色だったけれど、王子さまと出会って、好きになって、友だちになったら違うものに見えるんだ。それは、なぜかって? ムギ畑の色を見ると、王子さまの髪の色を思い出すから。
この言葉を聞いて王子さまは、地球で出会った沢山のバラの花と、自分が大切にしていたバラの花が全然違うことに気がついた。見かけ上は同じでも、自分が水をやったり、風除けを作ったりと、バラの花のためにあれこれ世話を焼いた。その時は何も考えなかったが、自分がバラの花のためにそこまでしたのは、バラの花が好きだったから。バラの花を想っていたから。だから、地球で出会ったバラの花とは全然違うのだと。
結局、王子さまはバラの花が待つ星へ帰ることを決心するのだが、私は最後の王子さまの行動がずっと気になっていた。「星に帰る」ということは、王子さまにとっては「自分の星へ帰る」ことなのかもしれないが、「ぼく」や読者にとっては違う意味合いではないのか? つまりそれは、「肉体の死」を意味するものではないのか?
王子さまの肉体は死んでも、魂は永遠に残る。そして王子さまは本当に「星」になったのではないかと。キツネの言った「大切なものは 目に見えない」というのも、そもそも私たち人間が作り出したものが大切なものなのではなく、それを大切に思う気持ち、つまり心が大切なのだと言っていたのではないかと。
世の中便利になりすぎて、何が大切なのか考える時間を非生産的なものとして惜しむ人が多くなってきた。とりあえず目に見えるもの、物質的なものは分かりやすい。大切にするのも簡単だ。だが、目に見えないものをどうやって大切にしていいか、それを考えるとなかなか答えは見つからない。

きっと、みんな心のどこかでは「そんな大切なもの」を求めているのだろう。ただ、心にゆとりがなくて、不安が多くて、考えるどころではないのだろう。だからこそ、人々は何かのキッカケがほしくて、純粋な気持ちに戻りたくて「星の王子さま」を読むのかもしれない。
だからこそ、こうして今もなお「星の王子さま」が大人にも受け入れられ、愛されるのだと思う。
- 2006/07/31 23:46|
- [書籍]記憶に残る絵本のお話
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- #25▲
「なぜか記憶に残る世界の童話」ということで、前回、思い出した童話について考えを述べさせてもらった。
だが、あとで思った。ただ単にイチャモンつけたいだけ? それとも子どもの頃に漠然と抱えていた疑問を、ここにきてあれこれと勝手に理屈づけて、夢をぶち壊しているだけ?
童話は子どもたちが読むもの。子どもに夢や希望、幸福を与えるものと思っているが、ときには、「人生ってこんなに甘くないさ」的な教訓を与えるものであってもいいと思っている。
イソップ童話なんかもそう。グリム童話などもそうだ。ただ、グリム童話では、ここ数年、「初版ではこんなこと書かれていた」と初版の残虐性などばかりがクローズアップされて紹介されているが、確かにその一部分だけ見れば残酷だと思う。
「シンデレラ」の話。 ・・・・王子のお妃になれたシンデレラは、かつて虐げられた継母と姉たちを熱い鉄板の上に素足で立たせ、笑いながらその様子を見ていた。
「ヘンゼルとグレーテル」の話。 ・・・・食べ物がもうなにもない。一家四人このまま飢え死にするよりは、子どもたちを森へ棄ててしまったほうがいいと指南した継母は実の親だった。
「白雪姫」の話。 ・・・・白雪姫の美しさに嫉妬した魔女の継母は毒リンゴで姫を何度も殺そうとした。だが、この継母は実の親だった。
このほかにも、アンデルセン童話の「赤いくつ」などは、残酷というよりも、罪を償うこととはどういうことか、それがなんともまあ、子供心にショッキングが描写で表現されていたりもする。(ミサに行かずに赤い靴を履いて踊りほうけていた娘。いつしか、靴が勝手に踊りだしてしまう。自分の意思ではないのに、踊りをやめることができない。娘は、どうか私の足を切ってください、と懇願し、両足を失うというくだり)
これらの童話は、確かに初版のまま、ストーリーそのものが子どもに読みきかせるには残酷だし、読み終わったあともスカッとしないものがある。子どもから「ママ、どうして?」攻撃に遭い、返答に困ることも必須だろう。
しかし、私が屈折しているのか分からないが、私が大人になってから童話を読み返したり、思い出してみると、こういった「残酷さ」が強調される童話ではなく、一見いいことのように思えるが、実は突っ込みどころ満載だった童話のほうが印象に残っている。
例えば、「幸福の王子」。
街の広場に金箔の王子さまの銅像があった。体中の至るところに宝石が施され、王子さまは何年にも渡って人々の生活を見てきた。あるとき、ツバメと王子さまが友達になる。
王子さまがツバメにお願い事をする。ある貧しい家がある。明日のパンにも困っている。ぼくの目から宝石を取り出して、その家に置いてきて欲しい。ツバメは快諾する。しかし、王子さまはまたお願いする。今度はあの家なんだ。赤ちゃんがいるのだけど、ミルクが変えない。僕のサーベルの飾りに宝石が埋め込んである。それを取り出しておいてきてくれないか。
ツバメは今度も快諾した。しかし、王子さまのお願いことはやまない。宝石を全て取り出すと今度は体を覆っている金箔をはがして貧しい家に持っていってくれとツバメにお願いする。ツバメは渡り鳥。冬が来る前に暖かいところにいかねばならない。
「王子さま、私は仲間のところに行かねばいけません」といったものの、王子さまの熱意に負けて、ツバメは王子さまの金箔が全てなくなるまで王子さまに支持される通り、金箔のカケラを届けた。しかし、季節は寒い冬になっていた。 ・・・・ある朝、雪が降り積もっていた。金箔がなくなってしまった王子さまの像の足元に力尽きたツバメが横たわって死んでいた。
というお話。結構感動ものの話で、泣ける話だったと記憶している。ツバメから宝石や金箔を届けられた人々は、天からの贈り物と思い感謝したというが、でも、それで人々は幸福になったのだろうか?
タイトルは「幸福の王子」だが、意地悪な味方をしてみれば、王子さまは「幸福」だと自分で思っていたが、ツバメは本当に幸福だったのだろうか? 確かに本では王子さまもツバメの天国に召されて永遠の命を授かったとあるが、どうなんだろう。
貧しい、お金がない、といえば確かに「不幸」かもしれない。だが、お金があっても「不幸」な人はいる。一時的に宝石や金箔を貧しい人に届けても、それは一時的な生活費の足しでしかない。あとのことを考えれば、彼らはそこから学習して「きっと、こまったら天から贈り物がくる」と期待してしまったのではないか。だが、期待しても贈り物はやってこない。そのとき、彼らはどう思うのだろう?
王子さまは、自分の持っているものが誰かの役に立ってくれたと思えば、満足だろう。幸福だろう。ツバメは死んでしまったが、南の国へ行くか、王子さまのところに残るかの選択肢があったとき、ツバメはどんな理由にせよ、自分で己の道を選択した。となれば、悔いは残っていないはずだ。
こんなことを考えると、最後まで責任もてないのに「相手に期待させてしまうことって罪」なんじゃないかなと思う。ちょっと深読みすると「幸福な気持ちで天国へ召された王子さま」ということなのかなと。
別に残酷な話がよくて、偽善ぶった話がよくないということではなく、なにかを考えるきっかけを与えてくれるということが大事なのであって、内容云々が問題ではないのではないか?
最近は、「子どもに読ませたい本」というのが紹介されるようになり、絵本選び、本選びも楽になった。だが一方で、暗黙のうちに「読み聞かせには向かない本、ジャンル」ということで、いろいろ通達があるのも事実だけに、そんなに敏感になることもないのに、意識することもないのにと思っただけなんだけど、こんなことを考える私も相当屈折しているなと思ったりもした。
- 2006/07/30 15:11|
- [書籍]記憶に残る絵本のお話
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- #24▲
むかし絵本で読んだ世界名作童話の話で面白いのがあった。
ある国の王さまと三人の娘のお話。残念ながらタイトルは失念。詳細ストーリーも断片的だが、多少自己流にアレンジして内容を紹介してみようと思う。
・・・・王様の誕生日の宴のとき、王さまは娘たちに聞いた。 おお姫たちよ。そなたたちは私をどのくらい想い、敬っているのか? ひとりずつ答えてみよ。
上の姫は、お父さま、私は海よりも山よりも父を愛しております、と言った。
その下の姫は、お父さま、私は金よりも銀よりも父を愛しております、と言った。
そして、末の姫は、なかなか言い出さなかった。
王さまは、末の娘を一番可愛がっていたから、彼女が何に例えて自分を愛してくれると言ってくれるのか期待していた。 姫よ、恥ずかしがることはない。思うままを述べよ。
・・・・お父さま、私は「塩」よりも父を愛しております。
し、塩? そなた、塩よりも私を愛すと言ったか。姉たちは海や山、金や銀に例えて私を愛しているといってくれたのに、そなたは何じゃ! 塩よりも愛するとはどういうことか!
王さまは、一番可愛がっている末娘に言われただけあって、ショックだったようだ。いや、怒りさえ覚えたのかもしれない。顔も見たくないといい、末の娘を遠い遠い国に嫁がせてしまった。
それから暫くして、王さまが病気になってしまった。 末の娘に対する仕打ちの報いなのか、王さまの治める国から塩という塩が消えてしまった。見かけ上は美味しそうなご馳走に見えても、食べてみると味がない。いや、塩気がない。王さまは「塩、塩の味のするものが食べたい」と家臣たちに言うが、そんな家臣たちも塩を長いこと食べていないので、元気がなかった。
王さまは、朦朧とした意識の中で、ようやく末の娘が「塩よりも愛しています」という言葉の意味を理解した。そうか、普段は当たり前のようにあるもので、自分はそれが当たり前すぎて価値があるなんて気がつきもしなかった。だが、こうしてなくなってしまえばどうだ。たった塩のために、自分は病に倒れてしまった。
そもそも、私の「愛情の大きさ」を何かのモノサシで計ること自体が間違っていた。そんなことをして何になろう。末の娘は塩の大切さを知っていたから、この世から塩がなくなればどうなるか分かっていたから、ああいったのだ。そんな塩よりも私を愛していると言ってくれた末の娘を私は・・・・。
と、全てのことに気がついたとき、末の娘が王さまの為に塩を持ってお城に入ってくるところで、このお話は終わったように思う。
「塩よりも・・・・」のくだりが、子供心に印象に残っていた。これは物語だから「塩」なんだろうが、「空気」などに置き換えてもいいだろうね。 まあ、この話を思い出してみて思ったことは、やはり「愛情の大きさ」を個人のモノサシで計るのは間違っているとは言わないが、危険だと思う。
よくあるよね。あの人はすぐに見舞いに来てくれたからいい人だ。一方見舞いにも来ない。恩知らずな奴だ。とか、誕生日を忘れないから義理堅いとか、いろいろ。でも、「相手を大切に思う気持ち」というものは、本来個人の心に留めておいて、それが溢れて表面上に無意識に出てきて、相手に伝わるものだと思っている。
不安になると特に相手の気持ちが知りたい。どれだけ愛されているのか確かめたくなる。この気持ちは人間の不安とか、欲望をよくあらわしていると思うし、私も時々この気持ちに襲われる。逆に、これだけ相手に尽くせば愛してくれるだろう、とかね。
結局、自分の中にある「これだけしてくれる人は私のことを愛しているという証」というものに当てはめて、それを通して相手を見ているのかなとも思う。この王さまがそうだものね。山、海、金、銀には王さまは価値を見出せていたわけだ。だが、塩にはそんな価値は見出していなかった。だから、怒った。それだけのこと。
そう思うと、もっともっと物事をいろいろな角度で見ていかなくてはならないのだろうか。王さまは最初は塩の大切さを分かっていなかった。だが、自分が病気になって初めてその大切さを身をもって知ることになる。 私たちの普段の生活もこれに近いエピソードはゴロゴロしているんじゃないかとも思う。
ただ、それに気がつかないでやり過ごしてしまっているか、気がついているかの違いだけなんじゃなかろうかと。星の王子さまもキツネに教えてもらった。チルチルとミチルも自分たちで気がついた。結局、大切なものは目に見えないのだろうけど、見ようと努力すれば見えるってことにね。
・・・・ただし! どうやって努力すればいいのかは童話には語られていない。これがポイント。「自分で考えろ」ってことなのだろう。
- 2006/07/28 17:00|
- [書籍]記憶に残る絵本のお話
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- #23▲
昨日だったか、とある書店に立ち寄ったら見つけてしまった。 ・・・・「楳図かずおのこわい本」という文庫本版コミックスを。
「闇のアルバム」とかいう、本当に10ページ以内の短編集なのだが、正直もの凄いクオリティ。ジャンルが多岐に渡っていて、スプラッターなシーンもおどろおどろしたシーンも他の漫画に比べたら少ないのだが、なんか怖い。ページをめくるのが怖いし、最後のオチが怖い。
絵も綺麗だし、細部に渡ってこだわっているのだが、あの顔の独特の陰影やゴスっぽい雰囲気が怖いのだろうか? 「ぐはっ」といった表現も怖いし、夜寝る前に読んでみた私がバカだった。怖い夢を見て、ウンウンうなされて今朝は、どよよんな気持ちだった。
やっぱり独特の「怖いもの見たさ」を刺激されてしまうのだろうか? ・・・・ということで、一瞬、楳図かずおのコミックスを集めようかと思っていたのだが、マジ、怖いので暫くは漫画喫茶で読むことにした。
・・・・「怖いもの見たさ」といえば、怖くて、暫くトラウマになった漫画があった。美内すずえ著の「白い影法師」という学園ものの漫画。

美内すずえと言えば、未だ未完の「ガラスの仮面」の著者として有名だが、初期のころは本当にいろいろなジャンルの漫画を描いていて、私はゴシックな雰囲気満載の昔のお姫様路線の「燃える虹」「王女アレキサンドラ」などが好きだった。基本的に「ガラスの仮面」に出会うまでは、美内すずえといえば、怖い漫画を描く漫画家さんと思っていたぐらい。
そんな中で、中学校のときだったかな。クラスで「滅茶苦茶怖い漫画がある」と話題になったのが、この「白い影法師」だった。
主人公が中学校か高校かは失念だが、転校してくるところから物語りははじまる。何故かそのクラスには、誰も座っていない席があった。転入生の主人公は、「あ、私あの席に座ります」と座ってしまうのだが、これが恐怖の始まりだった。
それから、学校の廊下、教室で女学生の幽霊を見かけるようになり、親しくなった友人に理由を聞いてみたら、その幽霊は「小夜子」といって、病弱だった女学生らしい。学校も休みがち、本人も目立たないぐらいおとなしかったから友だちができなかった。
だが、ある時転入生と小夜子が親しくなって、小夜子はとても嬉しかった。しかし、社交的な転入生はクラスにも馴染み、小夜子以外にも友だちが沢山できた。小夜子は転入生を独占しようと思うのだが、病弱で思うようにいかない。体育の授業も見学していなくてはならないのに、無理にマラソンしたりしてどんどん体が弱っていった。
最後は病死だか、自殺だが覚えていないのだが、小夜子は死んでしまった。恨みを残し、浮かばれない小夜子の霊が学校を彷徨い、たまたま転向してきた主人公に取り憑いていると、ある霊能者から言われる。
そして、小夜子の命日がくる。霊能者には「この日は絶対に学校へ行ってはいけない」と言われるのに、体がいうことをきかない。何かに操られるかのように主人公は学校へ向かい、自分の、いやかつての小夜子の座席に着席する。小夜子が亡くなった時刻が近づき、主人公の体が硬直し動かなくなった。どこからか小夜子の声が聞こえてくる。これは何? どこから声がするの? と、主人公が下を向いたとき・・・・・
机の中から恨めしそうに主人公を見つける小夜子の姿が目に入った。 「きゃあああぁぁぁぁぁ!」と、その瞬間、体が動き、主人公は席を離れた。すると、近所のビル建設現場のクレーンが窓ガラスを破って教室に倒れこんできた。教室内が騒然とするが、主人公は見ていた。自分が数秒前まで座っていた机がクレーンの下敷きになっていたのを・・・・。
こんなストーリーなのだが、最後まで一気に読める。内容がウル覚えなのだが、最初、女生徒が面白がって「こっくりさん」をするんだよね。「小夜子の霊を呼び出そう」みたいな感じで。主人公も半信半疑で面白半分にやっているのだが、本当に小夜子が降りてくる。
「寂しい、寂しい」と訴えて、それから小夜子がらみの霊現象が主人公の周辺で起きるようになり、ラストの机から顔を出す小夜子のシーン。これはコミックで見開き2ページにデカデカと表現されているが。当時、みんなで漫画本を見ていた友達が一斉に「きゃあぁぁぁぁぁぁl!」と叫ぶぐらいインパクトがあった。
私自身は「こっくりさん」の経験はないが、似たような「キューピッドさま」というのは何度かしたことがあった。でも、私が通っていた中学校は創立間もないというのに、何だか怪奇現象の噂が絶えないところで、実際に近くで自殺騒ぎとか、プールで亡くなった生徒とか、いろいろあったらしい。
沼地を埋めて学校を建設したというのもあったかもしれない。ただ、私自身、何となく薄暗い学校だなとは感じていたし、周りは田んぼだらけだから余計に怖かったんだよね。この「白い影法師」が大流行してから、「こっくりさん」「キューピッドさま」に興じる生徒は減ったようにも思う。
何事も面白がって、興味本位でやるのはよくないだろうし、それを当時、興味津々、好奇心旺盛の中学生だった私たちだけでなく、全国の同世代の読者たちに強烈なインパクトを与えたという意味では、この「白い影法師」はピカイチの存在だったのだと思う。
参考資料: 画像はないが、アマゾンコムでは「
白い影法師」を購入できるようだ
- 2006/07/23 18:49|
- [書籍]記憶に残るマンガのお話
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- #19▲
前回、「
心残る怖い話」として楳図かずお大先生への思いをいろいろ綴ってしまったのだが、今回は少女漫画ジャンルの中での「怖かった話」について語ってみたい。
少なくとも、少女漫画のジャンルにおいて、私は積極的に怖い話というものを読んで来た。ひとことでいっても、少女漫画での怖いジャンルというのはいろいろある。

例えば心霊もの。幽霊や怨念絡みで怖かったのは、成毛厚子著の「霊感少女--闇のカルテ―恐怖短編傑作選」。主人公が幽霊が見える能力があり、さまざまな幽霊騒ぎに巻き込まれるといった内容だったが、絵が綺麗な分だけ怖かった。昔、日本テレビ系で「あなたの知らない世界」という再現フィルムで視聴者の幽霊話を昼間に特集する番組があったのだが、まさにあの世界だった。漫画を読み終わったあとは、ひとりでトイレにいけないとか。

例えば、異性物もの。小学校のときにやたらと流行った漫画があった。ひとつは高階良子著の「化石の島」。これは当時ビックネーム(いまもビックネームだが)だった高階良子の意欲作で、単なるホラー漫画とは一味違った。同女史は「ドクターGの島」という作品も描いているが、これはバーバラ・バック(リンゴ・スターの奥様)主演の「ドクターモーローの島」とほぼ世界観が似通っていたので新鮮味は感じなかった(でも、原作は江戸川乱歩)ものの、「化石の島」は別。

ホラーというより、ホラーを下敷きにしたラブストーリーで、構成も非常に凝っていた。当時、少女漫画雑誌「なかよし」に掲載されていたというが、少女が読むには完成度高すぎ!と思ったくらい。他に「タランチュラのくちづけ」「地獄でメスが光る」「血まみれ観音」など、おそらく楳図かずおが描いていたら、背筋も凍るゾクゾク恐怖漫画になるのだろうが、高階良子はサラリと怖い、でもラブロマンスがメインだよと見事に少女に受け入れられるようなストーリにまとめた。
そして最後に、美少女による殺人鬼もの。これが楳図かずおであれば、また別の世界観になるのだろうが、少女漫画というのがミソ。主人公は美しく、はかなげで悪意なく己の純粋な欲望のために殺人を犯す。そして、主人公の残虐性に気がついた大人たちによって葬られるという筋書きなのだが、主人公たちが求めていたのは「愛」なんだよね。
ということで、ご紹介したいのが、わたなべまさこ著の「聖ロザリンド」。作品が発表されたのは1973年。私がこの作品を読んだのは、小学校高学年ぐらいだった。クラス中で「滅茶苦茶怖い漫画。読んだら夢に出てきそうなマジ怖い漫画」として男女関係なく夢中になった漫画本。
ある漫画好きな子が「お姉ちゃんのだから」といって学校に持ってきたのが発端。昼休みに読んでいたら隣にいた子が「おまえ、何読んでるんだ」と除き見してから、「まじ、こえー!!」と大声を出して、みんなその机の周りに集まり、夢中になっていたような気がする。
外国が舞台のこの作品。天使のように愛らしい8歳の少女が実は殺人鬼だった。母親と引き離され、修道院へ預けられる。母に会いたいがために修道院を抜け出すが、その方法は何とシスターたち全員を毒殺するという残虐な方法。確か何かに毒を混ぜるんだよね。
そこから抜け出し、心やさしい女性に引き取られたももの、行く先々で残酷な殺人を犯していく。ある時は体中にバターを塗ってネズミにかじらせたり、ある時は「死んだら宝石をあげるよ」という老女の言葉を信じて宝石を手に入れたりとか。
本当に天使のように可愛いのに、大人の嘘には敏感。その瞬間に目がキラーンと光って、「ひどいじゃない。おばさん、嘘つき!」と残虐な犯行に及ぶのは天性のものか。犯行が終わると、「ルンルン♪」とその場を立ち去っていく。ある時はなかなか相手が死なずに「あら、今日はとっても難しいわ」と言ってのける。

よくもまあ、少女漫画としてこの作品が1973年に発表されたなと感心するのだが、いまだったら社会問題となるのだろうか?
でも、思い出してみると、当時の私たちは、こんなのは許されないことだし、主人公の子、絶対おかしいよね、きっと親に虐げられたんだよ、なんて子供ながらに冷静に分析していた。きっと今読んでも相当なインパクトを受けるのだろうけど、いまのご時勢、ちょっと子供たちには読ませたくないなと思ってしまう私は、ずるい偽善をふるう大人になってしまったということなのだろうか?
この「聖ロザリンド」と似たようなストーリーだが、設定が微妙に違い、もっと私たちの日常に根付いている作品として印象に残っていたのが、こいわ美保子著の「真夜中のシンデレラ」。これは絶版となっているようだし、作者も2冊だけ作品がコミックス化されたあと、漫画の世界から足を洗ってしまったようだ。
ルリというハーフの少女がお屋敷で働く祖母のもとで育てられる。お屋敷には意地悪な同い年の娘がいて、ルリはなにかというと苛められていた。「お嬢さんなんか大嫌い」という子供心に鬱積した憎しみからルリはお屋敷に火を放つ。娘は行方不明。ルリは娘を亡くしたと思っている主人に取り入り、養女の座に居座る。
それから数年の月日が流れ、ルリは美しい高校生になっていた。だが、悪魔に心まで売り渡してしまったルリは、構内での権力を手に入れるため、生徒会長を落としいれ、名声を手に入れるため演劇部のスターだった先輩の女性とを廃人にしてしまう。
欲しいものを全て手に入れたルリだったが、ルリは愛に飢えていた。あるとき自分と同じハーフの年上の男性と恋に落ちる。おばあちゃん、私やっと好きな人ができたの。と男性の名を告げた途端、祖母の顔色が変わる。やめときなさい、それは許されないことだ、だって、あの人はルリ、おまえの・・・・と祖母が言いかけたとき、ルリは祖母を刺し殺す。
そう、ルリが愛した男性はルリの実の父親だったのだ。祖母の殺害現場に彼が居合わせてしまった。「これで、これで最後だから」とひとり言をいいながらルリは祖母の命を絶った。それで全てを悟った父は、ルリと二人永遠の旅に出る・・・・。「神様、全ては私の責任です。この子をお許し下さい・・・・」
と、ラストは二人の死を暗示するような内容だった。これも少女漫画雑誌「なかよし」に連載されていた。当時私は「なかよし」を購読していたのでリアルタイムで読んだ記憶がある。絵も非常に綺麗で、「聖ロザリンド」と比べると残酷な描写がなかった分だけ、ストーリーに感情移入できた。
とまあ、怖い漫画を語ると話が尽きない。もっと少女漫画チックな話に夢中になればよかったものを、私は何で怖い話に惹かれたのだろう?とはいえ、虫ウジョウジョ、スプラッター系のホラー漫画は苦手。やっぱり、ストーリーでゾクゾクさせてくれる「怖い話」がよいし、最後は少女漫画的な最後を迎えてくれるもののほうがいいと思う。
少女漫画の怖い話に求めるものは何か? それは、同じ題材でも、いかに少女漫画の世界観を作り出し、少女漫画チックに物語を作り出し、少女漫画としての魅力あるキャラを描き出すか、そして、少女漫画チックなエンディングを迎えられるか、これに尽きると思う。 ・・・・私の場合は、だけど。
- 2006/07/21 23:54|
- [書籍]記憶に残るマンガのお話
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